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大阪地方裁判所 昭和62年(行ウ)40号 判決 1990年1月26日

原告

桂田朝子

右訴訟代理人弁護士

須田政勝

高橋典明

被告

大阪中央労働基準監督署長森田益雄

右訴訟代理人弁護士

小澤義彦

被告指定代理人

小出正行

中嶋康雄

奥田勝儀

若尾貞夫

加藤久光

矢尾晋作

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五七年四月二一日付で亡桂田定男に対してなした休業補償給付の不支給決定を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の亡夫桂田定男(以下「定男」という)は、大阪市東区(現中央区)南本町三丁目二五番地所在市田株式会社(以下「訴外会社」という)大阪支店に営業部長として勤務していたが、昭和五五年一二月一九日、同支店内において勤務中脳内出血(以下「本症」という)を起こし、以後就業することができなくなった。

2  定男は、被告に対して、同日から同五六年九月二〇日までの労災保険の休業補償給付を請求したが、被告は同五七年四月二一日付で右給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という)をなした。

定男は、同年六月一六日大阪労働者災害補償保険審査官に本件処分の取消を請求したが、同審査官は、同六〇年三月二日付でこれを棄却する旨の決定をなした。

定男は、同五七年八月四日死亡し、原告がその地位を承継した。

原告は、同六〇年四月二〇日労働保険審査会に再審査を請求したが、同審査会は、同六二年六月二五日付でこれを棄却する旨の裁決をなした。

3  しかしながら、本症は業務に起因して発生したものである。

4  よって、原告は本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、定男が勤務中に脳内出血を起こしたことは不知、その余は認める。

2  同2は認める。

3  同3は争う。

三  原告の主張(請求原因3について)

1  本症発症当日の定男の行動及びその後の経過

(1) 本症が発症するまでの同五五年一二月一九日における定男の行動は、日常的なものであった。即ち、定男は、午前五時三〇分ころ起床、同六時四〇分ころ自宅を出て、同八時一〇分ころ訴外会社の最寄り駅である大阪地下鉄堺筋線本町駅に到着、時間調整をして、同八時三〇分ころ出社し、直ちに掃除等をすませた後、同九時ころから二ないし三分間の朝礼を行った。

(2) その後定男は、同九時一五分ころ自己の椅子に座ろうとして誤ってその場に倒れ、全身打撲により約一時間意識を失っていたが、その後意識が回復した。

(3) そして定男は、間仕切りの向こう側で部下と顧客が話をしているのを認め、その話に加わり、顧客と一緒に店内の商品を見に行こうとした際、意識を失った。定男は、顔面蒼白で手足の痺れを訴え、同一〇時四五分ころ救急車で桜橋の渡辺病院へ搬送された。定男は、同病院において種々の検査等の後脳内出血と診断され、同月二三日まで入院していたが、翌日から国立循環器病センターに転院し、手術を受け、翌年三月二三日まで入院していた。その後定男は、身体の機能回復訓練のため、京都市身体障害者リハビリテーションセンターへ入院していたが、入院中の同五七年八月四日死亡した。

2  定男の職歴等

定男は、同二七年三月訴外会社に入社し、京都支店の服地部販売課員として勤務したが、同四一年四月同支店第三部商品一課課長代理に、同四二年四月同課課長に昇進し、同五一年四月から洋品トップ商品担当部部長代理を兼任した。その後定男は、同五三年四月洋装事業部大阪支店販売第五部長に抜擢され、大阪支店勤務となり、同五四年四月同支店営業第五部長に就任した。

営業第五部長の職責は、仕入と販売を一貫して受持ち、商品政策、在庫、損益計算、得意先信用管理に及ぶ広範囲なものであるうえ、定男は当時紳士服販売の経験が浅かった。

さらに定男の自宅は京都市内にあるが、定男は、ラッシュ時の混雑をさけるため、毎日午前六時三〇分ころ自宅を出て、片道一時間三〇分ないし二時間かけて通勤をし、午後八時ころ帰宅していた。

3  本症発症までの定男の健康状態

定男は、入社以来病で欠勤したことはなく、同五五年四月二三日の社内定期健康診断で初めて高血圧注意と記載された診断表を受けた。因みに定男は、同五四年五月一日に生命保険契約を締結したが、その際の血圧測定においては異常が認められなかった。

また、定男は健康に気を配っており、タバコを同五四年ころやめ、酒も付き合いで嗜む程度であった。前記のとおり定男は高血圧注意を指摘されたものの、治療が必要との注意は受けていないし、頭痛や身体のだるさ等の自覚症状はなく、本件事故の一〇日前までは仕事に励んでいた。

4  本症発症直前の業務の異常性

訴外会社は例年一二月多忙を極め、特に同月一五日から同月二四日まで夏物展示会を開催するため業務量は著しく増大する。定男は多忙の中で、強い責任感から販売実績を上げるため、同五五年一二月一〇日から一二日まで厳寒の北陸地方へ出張した。定男は、この間、商品見本をいれた一〇ないし一五kgの荷物ケース二個を持参し、雨の中、得意先を回ったが、その成果は芳しくなかった。定男は、右出張から帰った後の休日二日間は疲労のため何もする気になれず、自宅で静養したが、訴外会社に対し、今後の出張はレンタカーを使用すべきことを具申した。

そして右展示期間中の定男の終業時刻は、平素より約二時間遅い午後九時ころになり、帰宅するのは同一一時ころとなった。また、同期間中の商談は平常時の約二倍となり、得意先への勧誘、納品、商品整理の仕事も増加し、一時間の昼休みも実際は昼食さえも満足に採れない状態であった。

このほか、訴外会社では毎年一二月は来年度の売上計画、予算計画を立てねばならない。営業第五部は同五四年度の目標を達成したものの、部員を五名減員される中で売上額を維持し、さらにそれを増額させる計画書を提出し、それを遂行していく具体的な計画を立てていかねばならず、売上増を達成できないと部長降格もありうる状況下におけるこの時期の定男の職責は、大変なストレスが蓄積される仕事であった。

5  本症発症の業務起因性

定男は、前記のとおり、同五三年四月販売部長昇進後は長時間の通勤による疲労及び仕事上のストレスが蓄積し、同五四年四月営業第五部長に就任後は、第二次石油ショック以降の世界的不況の中で、売上が上がらないと直ちに降格されるという状況下で職務を行っていた。加えて定男は、年末の多忙な時期に過酷な北陸出張を行い、心身とも疲労困憊し、さらに夏物展示会のため、多忙を極めていた。このような状況下で本症が発症した。

そうすると、前記のとおり定男には高血圧症の基礎疾病が存したが、それは罹患後一年程度で治療の必要性も指摘されていないという極く軽度なものであり、同症が自然的に増悪して本症を発症させた可能性は低く、むしろ、その従事していた業務の過重負荷が相対的に有力な原因となり、定男の高血圧症を急激に増悪させ、本症発症に至ったというべきである。

6  業務上外認定基準について

本件のような脳血管疾患が労働災害保険法上の補償の対象とされるべきか否かの業務起因性の判断は、その従事した当該業務の内容、従事期間、業務量、被災者の基礎疾病等を総合してなされるべきである。

労働省は、業務上外の認定基準について従来から批判の多かった旧認定基準(一一六通達)に代わり、同六二年一〇月二六日付基発第六二〇号通達(以下「新認定基準」という)を発した。これは、発症直前に災害的出来事がない場合でも、被災者の業務による負荷が過重である場合には、業務起因性を認めてよい場合があることを承認したもので、旧認定基準から一歩前進した内容になっているが、依然として災害主義を脱却せず、右過重負荷の判定期間を合理的根拠なく一週間と限定している等不合理な面もある。

右認定基準は、あくまで行政内部における実務の指針として運用されるものにすぎず、裁判所の判断を拘束するものではない。

四  被告の反論

1  業務上外認定基準

旧認定基準は、いわゆる「災害」を、新認定基準は「過重負荷」を業務上の疾病と認める要件としているが、その意味するところは同じである。

旧認定基準のもとにおいても、災害医学的見地から、災害と評価できる程度に強度な身体的精神的努力をした場合、強度な身体的精神的疲労の蓄積をもたらす業務が先行した場合、突如として激しい精神的ショックに打たれた場合等、当該業務が脳血管疾患を惹起するため相当程度有力な原因となったことが認められて、初めてその業務起因性を肯定できるとした事例は多数ある。

2  本症の業務起因性

本件を新認定基準に則して考察するに、まず、本症発症前に、定男が業務に関連した強度の精神的身体的負荷を惹起する突発的又は予測困難な異常な出来事を受けたと認められる事実がないことは明白である。次に、定男は、前日から本症発症直前までの間夏物展示会の開催にかかる業務に就いていたが、これは例年行われる業務であり、時間外労働が長時間に及んだ事実もなく、特に過重であったとは認められない。さらに、本症発症前一週間の定男の従事していた業務についても、北陸地方への出張は定男の慣熟したものであり、スケジュールが過密であったわけでないうえ、その後二日間は休日であったのであるから、過重であったとはいえない。したがって、定男が本症発症前に過重な精神的肉体的負荷が生ずる程度の業務に従事していたとは認められない。

脳内出血の原因のうち、もっとも頻度の高いものは、高血圧に起因する、いわゆる高血圧性脳内出血である。定男は、本症発症約九カ月前の同五五年四月二三日の健康診断において、収縮期血圧一五二mmHg・拡張期血圧一〇四mmHgを呈し、医師から「高血圧注意」の指示を受けていたうえ、本症発症約二カ月前の同年一〇月七日の同診断において、収縮期血圧一五五mmHg・拡張期血圧一〇五mmHgを呈し、医師から再度「高血圧注意」の指示を受けるに及び、自宅の近所の医師の治療を受けたが、約一カ月後自己の判断によりこれを中止した。定男がタバコを止めたのは同年九月下旬であり、本症発症前においても頭痛や口のもつれ等高血圧に伴う自覚症状が存在していた。

以上によれば、本症は、定男の既往高血圧症が自然的に増悪し、たまたま業務遂行中に発症したものといわざるを得ず、その業務起因性を認定することは困難である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実(定男に本症が発症したこと)のうち、定男が勤務中に脳内出血を起こしたことは、(証拠略)により認められ、これを左右するに足りる証拠はなく、その余の事実は当事者間に争いがない。

同2の事実(訴訟要件)は当事者間に争いがない。

二  そこで同3(本症の業務起因性)につき判断する。

1  原告の主張1(本症発症当日の定男の行動及びその後の経過)のうち(1)及び(3)の各事実は、(証拠略)により認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

同(2)の事実(定男が本症発症当日の午前九時一五分ころ転倒し、約一時間意識を喪失したこと)の存否につき検討するに、(証拠略)にはこれに沿う記載部分があるが、右はいずれも定男の本症発症後の供述書、供述録取書であるにもかかわらず、転倒の状況について明らかな相違が認められること、同じ職場において約一時間も床に倒れていれば、他にこれを現認した者がいるのが自然であるにもかかわらず、(証拠略)によれば、当日出勤していた他の社員でこれを現認した者はいないと認められること、(証拠略)によれば、後記東医師は、外傷による二次性の脳内出血の可能性を指摘するに止まり、外傷を確認していないことが認められる等の事情に徴すれば、右各記載部分は直ちに信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  前記認定事実に、(証拠略)、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、定男は、昭和五五年四月二三日の社内健康診断時の血圧測定で最高一五二mmHg、最低一〇四mmHg、同年一〇月七日の同測定で最高一五五mmHg、最低一〇五mmHgが記録され、担当医師から「高血圧注意」の診断を受けていたこと、同年一〇月ころ自宅近くの医院で高血圧が原因と考えられる頭痛により一度診療を受けたこと、同年一二月一九日職場から搬送された定男を診断した桜橋渡辺病院の担当医師東裕は、初診時の所見として、意識障害、失語症、右片麻痺と認め、同月二三日、CTスキャンにて2Aないし5B断面にかけ、左大脳半球にhigh density areaを認め、定男の病名を「脳内出血」と診断したこと、定男の同月二四日からの転院先国立循環器病センターの担当医師高橋伸明は、初診時の所見として、失語症(運動性失語症は完全失語)、右完全片麻痺、ゲルストマン症候・右同名性半盲、CTスキャンにて脳内出血を認め、同日脳内血腫除去術、外減圧術を、同五六年二月二七日頭骸骨形成術を行ったことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

以上の認定説示に、(証拠略)によれば、前記高橋医師及び大阪労災病院医師志水洋二はともに本症を高血圧性の脳内出血と判断していること、(証拠略)によれば、脳内出血の大きな発生要因として高血圧及び高血圧性変化が指摘されていること等の事情を総合すれば、本症は、外傷に起因するものではなく、高血圧性の脳内出血と認めるのが相当である。

3  次いで、(証拠略)によれば、高血圧性脳内出血の場合、高血圧の増悪因子として、肉体的、精神的疲労の蓄積が考えられることが認められる。そうすると、本症の業務起因性を肯定するためには、基礎疾病である定男の高血圧症が、その従事していた業務を相対的に有力な原因として、肉体的、精神的疲労が蓄積し、自然的増悪の程度を越えて顕著に増悪し、本症発症に至ったと認められることが必要であると解するのが相当である。そこで、定男の従事していた業務につき検討する。

1及び2で認定した事実に、(証拠略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

定男は、昭和八年生まれで、同二七年訴外会社に入社し、同五三年四月から事業部大阪支店勤務になると同時に販売第五部長に昇格し、同五四年四月に営業第五部長に就任した。定男は、毎日午前六時四〇分ころ自宅を出て、同八時三〇分ころ出社し、午後六時ないし七時ころ退社していた。通勤所要時間は約一時間三〇分であるが、定男はラッシュによる混雑を避けるため、自宅をやや早めに出て勤務先付近の喫茶店で約二〇分間時間を費やしていた。

右営業第五部は、紳士衣料の販売を主たる業務とし、課長三名、係員一三名で構成され、定男の部長としての職務内容は、部の運営に関する計画立案、推進の全般即ち、商品企画、販売計画の統制、推進、商品の仕入れ等の外、支店経営に関する意見具申も含まれていた。管理職であった定男の超過勤務時間を記録したものはないが、その部下の同五五年九月から同年一二月までの超過勤務時間は、九月一二・三九ないし四〇・二七時間、一〇月五・一三ないし五一・〇二時間、一一月七・〇五ないし三九・五七時間、一二月(但し一日から一八日まで)一・四七ないし三一・一七時間であり、定男は概ね部下の仕事を見届けて退社しており、深夜まで仕事をしたり、一人で超過勤務をすることはほとんどなかった。また、営業第五部長としての定男は、当面の手持在庫の処分、先物受注の獲得のための方策、翌年度の予算編成、東京の営業第六部との有機的活動のための方策等について課題を担っていたが、取引及び得意先との関係について特に問題をかかえていたわけではなく、後になって顕在化した、定男に特に精神的負担を与えたであろうと考えられる問題点もなかった。なお、同年度における営業第五部における売上実績は、売上目標を約一割下回っていた。

定男は、同月一〇日から同月一二日まで部下の二木康英と富山、高岡、金沢、武生の取引店へ紳士セーター等を販売するため出張した。即ち、一〇日午前京都を立ち、一一時三〇分ころ小杉到着、一二時三〇分ころから三つの取引店を訪問し一九時ころ富山市所在のスカイホテルにチェックイン、一一日八時ころチェックアウトして三店を訪問し一八時ころ高岡市所在の都ホテルにチェックイン、一二日八時ころチェックアウトして三店を訪問し一八時ころ武生から列車で京都の自宅に戻った。その間の商談は主として二木が行い、定男は右取引店の責任者に今後の営業方針を説明したり、要望を聞いたりした。出張期間中取引上のトラブルはなく、概ね目標どおりの成果を達成した。移動はタクシー、国鉄、バスを利用し、定男は、重さ約一二ないし一三kgの商品をつめた、コマ付のトランク二個を持参していた。この期間の北陸地方(富山、金沢、福井)の天候状態は、一〇日雨ないし曇ときどき雨、最高気温七・七ないし八・一度、風速二・一ないし二・九m、一一日晴、最高気温一三・四ないし一五・四度、風速二・一ないし三・八m、一二日雨ないし曇ときどき雨、最高気温一三・四ないし一五・五度、風速三・六ないし五・八mであった。なお、定男は営業第五部長就任後今回のような出張を何度かしており、今回の出張の期間が特に長いというものではなく、また、当時の訴外会社における部長の中には、定男の出張回数と同程度ないしはそれ以上出張している者もあった。

翌一三日及び一四日は連休で、定男は自宅で静養していた。

訴外会社は、翌一五日から二四日まで社屋四階の約一〇〇坪のホールで、定男の管轄下にあった紳士半袖ニットシャツを主としたカジュアル商品の夏物展示会を開催した。定男は、同月一八日まで概ね午後九時ころまで来客への応対、商談、納品準備、商品整理等の仕事に従事したが、右展示会の売上は思うように伸びなかった。そして定男は、本症発症当日である翌一九日には日常どおり出社し、勤務していた。なお、当時訴外会社においては、夏物展示会の一二月開催は恒例となっており、また、かような商品展示会を年六回開催していた。因みに、昭和五五年度における夏物展示会で扱う商品の量は、全商品展示会の一九%を占めていた。

以上の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

4  右認定事実によれば、定男は、通常午前八時三〇分ころ出社、午後六時ないし七時ころ退社していたもので、深夜に及んで残業をしていたことはほとんどなかったのであり、通勤時間が約一時間三〇分かかっていたことを考慮しても、特に肉体的負担を伴った業務に従事していたということはできず、また、定男は第五営業部長として、当面の手持在庫の処分、翌年度の予算編成等の課題を担っていたものの、これらは部長職としては通常のものと考えられ、他の点においては取引先との関係は良好であった等定男の業務は概ね順調に推移していたと認められるから、(証拠略)により認められる、昭和五四年ころ訴外会社において三名の部長が成績不振により部長代理に降格され、定男が精神的圧迫を感じていたであろうことを考慮しても、定男が日常特に精神的負担となるような業務に従事していたとはいえない。

さらに前記認定事実によれば、同五五年一二月定男が従事した日常業務外の北陸出張は、(証拠略)によれば、一部で取引が思うようにはいかなかったと認められるものの、それまでの定男の経験に照らし、また、その期間、成果等に加え、天候状態も一部雨天であったことを除けば特に問題とする程のものではなかったこと等の事情に徴すれば、特に肉体的、精神的負担を伴っていたとはいえず、また展示会開催に伴う業務は、売上が思うように上がらなかったこと、退社時間が二ないし三時間遅くなっていたことが認められるものの、例年どおりのことであり、訴外会社においてこの種の催しは年六回開催されていること等から、日常業務のいわば延長としての色彩が強く、これをもって定男に対し特に肉体的、精神的負担を課していたとも認め難い。そして前記認定のとおり、本症発症当日における定男の行動は、全く日常的なものであった。

5  以上の認定説示を総合すれば、(証拠略)、原告本人尋問の結果によると、定男には高血圧症を除くとさしたる疾病歴はなく、また、酒、タバコの嗜好癖もそれほど強くなかったと認められることを考慮しても、定男の従事していた業務が相対的に有力な原因となって、肉体的、精神的疲労が蓄積し、既往の高血圧症が自然的増悪の程度を越えて顕著に増悪し、本症発症に至ったと認定することは困難である。

なお、(証拠略)によれば、高橋医師は本症の業務起因性を肯定するが、右所見は、定男の業務を子細に検討したうえでなされたものではないと認められるから、直ちに彩用できない。

そして、他に本症の業務起因性を認めるに足りる証拠はない。

三  よって、本症の業務起因性を否定した本件処分は正当であり、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 鹿島久義 裁判官市村弘は出張のため署名押印できない。裁判長裁判官 蒲原範明)

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